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​今ここにいること

受容と今ここの関係性

ありのままの現実を無条件に受け入れた存在レベルの意識状態においては、意識は自然と「今ここ」へと焦点を当てるようになります。今ここが常に最善の場所になり、「もっと良いはずの今ここではないどこか」が消滅します。

 

あるがままの現実を受け入れることができないと、心は現状に対する不足感や欠落感を感じ始め、あるべき理想状態にしなければならないという衝動を感じ始めます。すると意識は、未来にある達成すべき目標へと駆り立てられていき、今ここは、達成すべき目標の手段にすぎなくなります。

自分の幸福は今ここにはなく、未来や別のどこかにあり、それを達成するための衝動は絶え間ない活動を引き起こし、心身は休まることがありません。

たとえ一時的にでも目標を達成することができても、現実を条件付でしか受け入れることのできない心は、次の不足を必ず見つけ出します。満たされるはずの目的地は常に地平線上にあり、そこにたどり着くことは決してありません。

どれほど多くの富を手に入れようとも、どれほど美しい容姿に恵まれていようとも、意識の波動が粗くそのままの現実を受容できなければ、人は不足を経験し、鏡の中に醜さを見つけるでしょう。

現実がどうあるかが問題なのではなく、あなたの在り方があなたの肯定感を決定します。

 

肯定感に条件を付ける限り、意識は今ここを離れ、苦しみを経験することになります。

もし願望が実現できたら自分は幸せになるのにという思いは、幸福を願望が実現するはずの未来へと押しやり、さらには、幸福を願望の実現という実現するかどうか分からない未確定な条件にかからせることによって、心を常に不安な状態に留め置くことになります。

今ここの意識は満たされない不安な状態のままです。

すべての人が病み、老い、死ぬことを避けられず、すべての人が自由意思を持ち、形あるものは例外なく変化していくこの世界で、幸福の条件を満たすために、自分の外側を変えることで幸せになろうとしても、人は決して幸福になることはありません。

願望実現とは、欠落感を癒すために無常の現実を変えようとする終わることのない苦しみという側面を持ちます。

今ここの完全性への目覚め

 

私たちは今ここに在り、無条件に幸福であることができます。望む現実があろうとなかろうと無関係に喜びの感情を選択できるのです。

意識が無条件の愛に共鳴し、当たり前と思っていた現実にも感謝するとき、意識の波動は精妙さを獲得し、意識は今ここに戻り、ありののままの現実に肯定感を感じるようになります。達成すべきことや改善しなければならないことなど、幸福であるための理由や条件は消えていきます。

無条件の愛は、自分が幸福で価値あるものであるために、自分の外側を何ひとつ変える必要がないという理解を生むのです。

 

愛の状態とは、受容にいかなる条件もつけず、いかなる結果も期待せず、思い通りにならない現実や自分の欠点、自分に苦しみをもたらす原因となるものごとをもそのまま受け入れ、現実がどのようなものであったとしても、それがそのままであることを許し、ありのままの現実を最善のものとして受けとめるということです。

あなたが愛と受容の波動にあり、あらゆるものを許せるようになったとき、あなたは周りで何が起きようとそれらに左右されることはなくなります。あなたは周囲のあらゆる出来事の上にあり、それらの影響下にはないのです。

 

あなたの波動が上昇し、あなたの在り方が変化すると、それに対応した現実が起こり始めます。

肯定的な感情は自分にとって肯定的なものを引き付けます。逆に否定的な感情、怖れや罪悪感、無価値感は、自分に否定的なものを引き付けます。感情がそれらを活性化させます。

今ここで満たされるとき、満たされた意識の波動は、さらに満たされた次の現実を引き付けます。あなたの愛にあふれた心は、自分自身の価値と完全性を思い出させ、多くの人と物を引き付けるでしょう。

ひとつの充足は、さらに満たされた次の充足へと移行し、際限のない喜びの経験を生み出します。

この宇宙は一瞬の不足も経験することなく、さらなる豊かさを経験できるようにできています。すべての一瞬が完全に満たされえるのです。

 

天国へ行くのではなく、すでに天国にいたと気付くだけです。受容と理解があるだけで、そのための努力や闘いがあるのではありません。

多くの人は行きたいところへ行くためには、今いる場所を離れなければならないと考えています。そして、天国へ行くために天国を離れ、地獄を経験するのです。

悟りとは、行くべきところもすべきこともないし、今の自分以外の何者にもなる必要もないと理解することです。

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