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エネルギー論から見た病気の解釈

エネルギー論から見た病気

 

一般的な現代医療の観点では、病気は、ストレス、生活習慣、遺伝、細菌などが原因となって発症し、それに対する治療は、薬剤や手術などを用いて症状の緩和や寛解を目指すという対症療法的なものです。

一方でエネルギー医療の観点から病気を見ると、まったく別なものになります。エネルギー論的に人の身体を見ると、人は物質的な肉体だけではなく、エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体などといった上位階層のエネルギー体も有しており、これらの不調和は、肉体面や精神面での疾患として現れます。これは現代医療の主流である西洋医学の視界には入っていません。人の身体をエネルギー体も含めて捉えたとき、病気を物質的な肉体のみではなく、意識や魂といった領域まで視野を広げて考慮することになります。感情、思考、観念といった意識や、過去生や平行生といった多元的な自己の不調和は肉体的な疾患として現れますし、自我意識を超えた高次の自己(ハイアーセルフ)の視点で病気を捉えたとき、それは高次の目的を持った事象ともなります。

 

例えばガンに罹患したとして、現代医学では抗ガン剤や腫瘍を切除することで治療を試みますが、肉体面での症状が消失したとしても、上位のエネルギー体が癒されなければ、しばしば病気は再発します。エネルギー体の不調和は、肉体の鋳型であるエーテル体を通して肉体に現象化・物質化するのです。

ガンという症状の背景には、例えば自己を責めるような思考パターンや自分は幸せに値しないという無価値感、そこから生じる重たい感情といったエネルギーがあるかもしれませんし、ハイアーセルフの視点から見ると、そうした制限された自己像を、ガンという苦しい経験を通じて省察し、改める機会にしたいという意図があるかもしれません。

つまり、エネルギー論的観点から見ると、病気の治療とは、投薬といった肉体面での症状の緩和処置だけではなく、制限的観念の解消や蓄積された負の感情の浄化、病気が提示する意味やメッセージを受け取るといったプロセスも含まれることになります。

 

 

エネルギー体の浄化

 

主流の医学が投薬や手術によって症状の緩和を図るように、エネルギー医療では、さまざまな手法を用いてエネルギー体に働きかけ、病気の治療を図ります。例えば、鍼による経絡の刺激、タッピング、瞑想、ヨガ、退行催眠、手かざし、フラワーエッセンス、ホメオパシーなどです。鍼治療では高度に体系化された経穴の刺激による治療法がありますし、タッピングでは、経穴の刺激とトラウマ記憶を組み合わせて負の感情の浄化を図ります。瞑想では、自分の心を見るという内観やイメージワーク、また、自我の感覚を落としたサーマディの状態に入ることによってエネルギーの波動上昇を図ります。

 

退行催眠やタッピングのヒーリング・セッションで現在の問題の原因となった過去生の記憶を思い出すことがあります。エネルギー体は肉体が亡くなっても存続するので、問題の原因が今生にない場合もあります。エネルギー体にとどめられた不調和は、転生から転生へと運ばれうるものです。ここで思い出した過去生の記憶に客観性があるかどうかはあまり重要ではなく、本人が抑圧していた否定的エネルギーを解放する手段として、潜在意識の波動から引き出されてきた物語が役に立ちます。この過去生の記憶は、通常、現在の問題を象徴するものとなっており、それを顕在意識で認知することで問題の本質が明確になりますし、また、潜在していたエネルギーが表面化するという現象そのものがエネルギーの浄化を促します。恐怖を伴った否定的エネルギーは、本人が見たくないと思い潜在意識に抑圧したもので、未解決な問題として、現在の思考や感情に影響を与え続け、病気の原因や、ものごとが望み通りにならない原因ともなります。

タッピングのセッションでは、体の不快感を入り口にして、そこから想起される負の感情を伴った記憶をたどっていくのですが、その過程で過去生の記憶が出てくることは稀ではありません。経穴のタッピングを使ってその記憶に付着した負の感情エネルギーを浄化し、イメージを使って望む記憶のエネルギーに書き換えます。

 

トラウマなどの感情の傷は、凍結されたエネルギーとして身体に保存されており、また、抑圧された負の感情や恐怖や不安などの低い震度数のエネルギーは、エネルギーの滞りとして身体に留まり、エネルギーが身体をスムーズに流れるのを妨げます。これらは病気の原因となるものです。これらを解消する方法として、心理療法や催眠療法などマインドからアプローチする手法も良いのですが、ヨガやダンスなどのボディワークやマッサージによって身体に直接アプローチする手法も効果的です。身体に根を張ったエネルギーの滞りを、実際に身体を動かすことによってエネルギーを流し浄化します。

心理療法の場合、トラウマや恐怖症などの負の感情を解放する手順として、トラウマの原因となった辛い体験や恐怖の対象物に暴露することが必要となりますが、これは患者にとってとても酷で、患者が治療をためらう原因となりますし、治療効果も限定的です。ボディワークの場合、暴露の必要がなく、運動を楽しみながらエネルギー体の振動数を上げ、エネルギーを流し、穏やかにエネルギーブロックを浄化します。

 

 

病気の意味

 

神智学ではコーザル体より上位の波動領域はその人の神性を表し、エネルギー論的にはハイアーセルフの視点から病気を捉えることになります。この視点では、病気は肉体という精緻な機械の不具合や、思考や感情といった自我意識の不調和の問題ではなく、自己の神我であるハイアーセルフからのメッセージと捉えることができます。

患者は自分の心を深く静かに内省し、ハイアーセルフが伝えようとしている病気の意味を探る必要があります。なぜこのような痛みを自分の体に作ったのか?この病気は自分にとって何を意味しているのか?この病気から学ぶべきことは何なのか?自分が見落としている重要なものとは何なのか?と自分に問いかけ、病気を、自分自身を振り返り、変えるきっかけとするのです。患者にとって最良の教師は患者自身であり、その状況を設定したのも患者自身です。健康を取り戻すには医者から処方された薬を飲むだけではなく、本人の気付きと変化が必要です。当人の変化なしにはいずれ別の問題を引き起こし、最初に病気を引き起こした原因に再び連れ戻されてしまいます。そこから教訓を引き出すまで、それを飛ばして次のレッスンに移ることはできません。ハイアーセルフは、あなたが見逃がしている重要な何かに気付くよう病気を通してあなたに語りかけています。

 

自分が作り出した病気の意味や教訓を見出すことができれば、病気に感謝することができるようになります。病気を恨んだり憎んだりしているうちは、病気はその役割を果たすことができません。病気になったのには理由があり、それをしっかりと振り返り、病気のおかげでこれに気付くことができた、ここまでたどり着くことができたと感謝することができれば病気の役割は終わります。

まず自分の意識の中で統合が起こることによって、それを象徴するシンボルとして物理的な治癒が起こります。つまり、自分でもう治っても良いと自分自身にOKサインが出た後で肉体的な治癒が起こるわけです。

 

病気を自分に振ってきた不運な災厄と捉え、それを滅すべく戦っている限り病気はあなたにとって苦しみとなるでしょう。痛みや苦しみは起こることに抵抗することから起こります。例えあなたが、病気により他人が苦しんでいるのを見たとしても、その苦しみの経験はその人の選択です。あなたは、同じ病気の経験を自分に役立つように受け止める選択をすることができます。するとあなたは病気の犠牲者になるのではなく、病気を自分が成長する機会と捉えることができます。病気をあなたの一部として受容し、感謝し、統合したとき、あなたの波動は上昇し、病気はその役割を終えるのです。

 

 

癒し、神への帰還

 

癒しとは、究極的には人が神聖なるものの中に入り、そこに帰還するプロセスです。ソースエネルギーは個々人のハイアーセルフへと分岐し、神の輝きとして人のエネルギーフィールドに表現されています。しかし、三次元密度では、人はソースエネルギーとの分離という幻想を経験します。分離という幻想を癒し、自我が神我へと帰還することがゴールであり、治癒はその副産物にすぎません。病気とは、あなたを。痛みを通じて内なる神へと導く案内役であり、あなたのここに分離があると指し示し、そこに無条件の愛を送るよう促しています。

エネルギー体を癒すさまざまな手法がありますが、究極のエネルギー体の浄化方法は、無条件の愛の波動に共鳴することです。無条件の愛、無条件の受容、絶対的な赦し。表現方法はいろいろありますが、これは宇宙の基本となるソースエネルギーの波動であり、このエネルギーと共鳴することで分離を統合し、分離から生じる痛みと恐怖を癒します。

 

病気をはじめ、さまざまな苦しみを生む根本的な原因として無価値感があります。自分は無価値である、自分には何かが足りていないという自己否定は、ソースエネルギーとの分離を経験する三次元密度において強力に根を張る自我の幻想です。無価値感という自己の内側に空いた真っ暗な虚空を埋めるために、人はお金を貯め込んだり、社会に認められようとしたり、人を支配しようとしたりします。しかし、どれほど自分の外側に内なる虚空を埋めるものを築いたとしても、無条件に愛することを学ばなければ、決して虚空を埋めることはできません。

無価値感、自己嫌悪、自己否定は、さまざまな形を取りながら人を病へと導いていきます。自分の欠点を見てもなお自分を無条件に愛することができるでしょうか?自分が老い病み何もできなくなったとしてもなお自分を無条件に愛することができますか?すべてを失ってなおその中に神の恩恵を見出し、感謝することができるでしょうか?

癒しとは、それでもなお無条件の愛を示し、自己が神へと帰還するプロセスなのです。

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